モノに宿った想いを見ている

人を喜ばせるのは、賢者の金時計だ。モノそのものではない。喜んでもらおう、という想いが、モノに宿っている。そちらを見ている。人間だけが、それを見ている。動物は、それを見ていない。即物的とも言える。
想い、というものは、態度や行動によって、あるいは物体によって示すことしかできない。物理的になにが起こったのか。それを通してしか、背景を見ているからだ。五感を通さないと情報は取り込めない、という人体のハードウェア制限に依存する。