客観性としての「観る」

自分の好きな分野において、「手を抜いている」とか「センスがない」とか「素人が一所懸命やった」とか、そういう類のことってのは、見れば一目瞭然だ。
勘が良い人間ならば、違和感があるかもしれないが、どこがおかしいのか明確に指摘することはできないだろう。漫画をかなり読むヤツなら、漫画を見ていて「なんだこのコマ。下書きじゃねぇか」と思うことがあるだろう。だがそれを認識するためには、漫画を読みなれているスキルが必要だ。
同じように、音楽も、絵画も、映画も、雑誌も、プレゼンも、やっている本人はわからないかもしれないが、見ている側は「観える」のだ。客観性とは、そこだ。自分を他人のように見ること。
なにかを作り出そうとするとき、自分が作りたいものを作るのは当然として、相手に自分の作ったものがどう見えるのかを、考えなくてはならない。客観性のないものは、ただの自己陶酔にしかならず、数日後、数週間後、数年後に、客観としての自分が見たときに、そのひどさがわかるだろう。
時間軸がズレれば、自分さえも他人なのだ。