コピーとオマージュの違いについて

たとえば感銘を受けた文章があったとして、それを丸写しして周囲に配ったとする。それではコピーに過ぎないのだ。必要なのはオマージュである。オリジナルを噛み砕き、飲み込み、消化して、己の言葉として発することだ。
鵜のように、飲み込んだ魚を丸出しするだけならば、蓄音機でよい。良い文章を集めてくるだけなら、コピペブログでよい。必要なのはソレなのか? キミにとって必要なのは。僕にとっては違う。
己から発するものだ。他者から取り込んだものかもしれない。オリジナルは違う意図をしたかもしれない。だが、僕が取り込み、僕が発する。僕の爪あとだ。示せるのはそれだけだ。