精神年齢という罠

実年齢と違い、精神年齢は年老いるほうが扱いが良い。望んで老いる人が多いようだ。
僕は精神年齢というものを「自己支配率」として捉えていて、どれだけ自分の気持ちがコントロールできるかが、精神年齢であると考えている。しかし、この数値。あきらかに日によって変動している。
実年齢と精神年齢に関係性がないのだ。いくつになっても、人間は苦しむ。ホルモンバランスが崩れただけで平静な気持ちは失われ、歯が痛いだけで冷静な思考はさえぎられ、鉄分が足らないだけで寝ることさえできなくなる。「精神など肉体のおもちゃにすぎない」
さて、そこで、だ。それを踏まえて。僕にはなにができるのか。どうやったら、僕の精神年齢は年老いるのか。
ニーチェは、12歳のとき、すでに「他者に理解されることは無理だ」と悟っていた。それに比べて、僕はどうだ。いつになったら、そんな境地に立てる? ニーチェだけではない。世の中にいる賢者たち、聖者たちが、自分と同じ年齢のときに、すでに成功を収め、なんらかの確固とした意識を持っていたはずだ。
年齢とは一定周期で加算しかされないのに、精神年齢という単語が誤解を生んでいるように思う。本来は、実年齢と共に精神年齢はあがるものだ、という幻想によって構築されたのだろう。