他者へのきっかけになれる文章とはなにか?

頭が良い人たちが多数いて、そういう人たちの書いた文章を眺めていて思ったことがある。
彼らの書く文章は基本的にすばらしく、良くできている。意思を感じる意見だし、話の展開が論理的で、文章は緻密で厳密だ。内容は濃厚で他人をうならせる。
…さて。
ここまで考えて思ったのは、そういう完全を目指した文章というものは、他者からの反論を予測して予防線がはってある。城壁を築き、周囲には兵士が配備されている。そんな堅牢な文章だ。そしてそういう文章は、堅牢過ぎて誰も入れない。議論の余地がない。文章として完結しているからだ。読み終えてもらえる意見といえば、「そうだね」とか「同意」とか。良くても「なるほど」程度。
欲しいのはそこなのだろうか? 僕はすこし違うと思う。小説でも漫画でもアニメでも絵画でもそうだが、多少あらがあっても「おっ」と思わせるほうが、相手の心に残るものだと考えている。「おっ」と思わせたい。自分の意見を糧として、他人の意見を聞いてみたい。文章を使って、相手の中に介入したいのだ。
では、その「おっ」と思わせる、その部分とは、なんだろう? それは穴だったり、脆弱性だったり、するのだろうか? どうしたら他人のひっかかる棘を作り出せるのだろう? アラがあるから良いわけではないように思える。ただ堅牢な文章ではないようにも思う。
「突き抜け感」という便利ワードを使うのは気に入らないが、そういう部分だ。考えるのはそれだ。