タイトルだけ見ればよい記事は、優れたタイトルだったからか?

それはあまりにも優れたタイトルだった。
Twitterが気楽な理由は、すべての責任が自分にあるから。 - さまざまなめりっと」
http://twitter.g.hatena.ne.jp/maname/20090831/1251733759
ただのTwitterまとめ文章というか、3ポストの文章なんだけど。タイトルがすごすぎて、本文読む必要がない、と判断したが、いちおう、念のため読んでみた。やはり本文を読む必要はなかった。タイトルですべて集約されている。
こういうタイトルがすごすぎる文章って、どうしたらいいんだろう? 本文、もういらないじゃん。蛇足に近く、本文が存在している。
逆に言えば、こういうタイトルになるべき文章、タイトルレベルの短さにできる文章が、本当に鋭く、必要な文章だ。
タイトルで人を釣り、本文で楽しませるエンターテイメントはたしかにある。多くの人がそういう文章を目指すのだろう。でも、本当に優れた文章って、そんなに長くなくても良いのでは? もっと短いセンテンスで、140字以内に収まるほどの文章ではダメなのか?