なぜ僕は荒木飛呂彦じゃないんだろう?

世の中にいろんな人がいて、さまざまな才能がある。漫画を読んでいても、とんでもなく面白い漫画と、そうでもない漫画がある。ブログだってそうだ。多くの人から支持されるブログサイトもあれば、数人も見ていないようなブログサイトもある。
なぜ多くの人は、才能溢れるあの人じゃないのだろう。みんな荒木飛呂彦ぐらい才能があったら、世の中もっと面白いものが溢れているはずで、世界はもっとずっと良くなっているんじゃないのか。なぜそうじゃないんだろう。
人間には個性というものがあり、それぞれに才能というものがある、と誰かが言う。だが、少なくとも、ベースのレベルにおいて、荒木飛呂彦レベルであったなら、もっとよくできたはずじゃないのか。漫画の話だけじゃない。たとえば、数学の才能でフェルマーほどの才能が多くの人にあったなら。たとえば哲学の才能でディオゲネスほどの才能が多くの人にあったなら。たしかに、好き嫌いがわかれるかもしれない。だが好き嫌いのレベルではない、もっと根本的な基礎のレベルにおいて。
もっともっと、より高いものがあったのなら、もっとより大きな枝葉を伸ばせたのではないのか。そんな理想論の果てを思い描いたりする。現実には、配られたカードで、勝負するしかない。それが宿命だ。