善きに使うか、悪しきに使うか

金言というものがあり、それは良い方向にも、悪い方向にも使える。最近、気に入った月光条例の一文。
「キッサマァァ ネロォ。役立たずキャラのくせに生意気なァ!」
「あなたがぼくを勝手に評価するな! ぼくがあなたの役に立つか立たないかなんて、ぼくにぜんぜんカンケーないよ!」
ちょっといろいろ切ってるけど、だいたいこんなカンジ。フランダースの犬に出てくるネロの話。原作で、彼はなんの役にも立たず、ルーベンスの絵を見て死んでいくわけだけど、月光条例では、それを跳ね返そうとするネロが描かれている。
ネロカッコイイ。否、これからかっこよく在ろうとしている。他人の評価なんて関係がないのだ。パワーのある言葉だと思う。しかし、言葉のパワーは、常に良い方向に動くわけではない。これはたまたま良い方向に動いた場合だってだけだ。
たとえば、この言葉を、悪い方向に動かすとする。他者から高く評価されてても、自殺した芥川龍之介のように。他人の評価が関係ない。どんなに生きることを他者から望まれていても、自殺するヤツはいる。すばらしい人だろうと、優れた人だろうと、なんだろうと。では、その人を説得することはできるのだろうか?「あなたがぼくを勝手に評価するな!ぼくにはぜんぜんカンケーないよ」
言葉そのものは、ただのパワーに過ぎない。善きに使うか、悪しきに使うか。どうか僕にとって善きに在るように、と思う。