ある能力を犠牲にして、違う能力を得る魔法

たとえば、今持っている能力を犠牲にすることで、特殊な能力を得られる、としたら、どんな能力が欲しいだろうか。もちろん能力は等価である(等価の定義は個人の中にある)多くの人が特殊な能力が欲しいようだが、それは単純に現状というものを認識していないだけだと思う。
たとえばそうだなぁ…「合コンで楽しむ能力」を得るかわりに、「漫画やアニメを見る能力」が一切失われる。漫画やアニメが、合コンのように理解不能なものになってしまう。よく想像して欲しい。この、ゾッ、とする交換を。
たとえば「酒にとても強くなる能力」を得る代わりに「本を読んで楽しめる能力」がなくなるとか。「ストレスなく他人としゃべることができる能力」を得る代わりに「自分の中で考えて精製する能力」を失うとか。
この「等価」ってのが個人によるので、難しいかもしれないが「うわぁ…それは…どうしようかなぁ…すっげぇ迷うよ…」って悩むほどのものが「等価」だ。そういう、等価交換は、魔法や錬金術の話なのだろうか? 漫画やアニメの中だけの話なのだろうか。答えは『ノー』だ。
そうやって交換した結果が、
今の自分であると知れ。
自分が何かを引き換えにして、今の自分を得たのだ。その場限りの安楽や快楽や怠惰な気持ち。あらゆるものを犠牲にして、今の自分を得ている。人間は成りたい者になる。それ以外はならない。
モテないのは、モテる努力を払うのが嫌だ、と自分が望んだ結果だ。別にモテなんてたいした価値もない。それより漫画を楽しめる能力のほうを優先した。だからその能力を得た。先天的にそちらの能力が伸びやすい人間というものはたしかにいる。だがそいつがそれを望むかどうかは、まったく別の話だ。自分の望みをかなえるために、嫌な努力をやることができるか?