主義主張の衝突と、後援会について

時々、主義主張が衝突しているのを見ることがある。政治なんかだとわりとありがちな、足の引っ張り合いだ。そうやって相手を下ろし、自分のほうが上だ、という主張をしているらしい。なんというか、児戯だな、とは思うが、おそらくそれが有効な政治において手法なのだろう。
対立する相手よりも、圧倒的に良い案が出ないから、そんな程度なのかな、とも思うし、それだけ両者は拮抗していて、より良い社会なのだろうな、とも思う。
で、この衝突を眺めていて、児戯だなぁ、と一番強く感じる部分が、負けそうになると「自分は負けてないもんね!」という感じで、議論を投げ出して逃げるところ。
なんでこんなことしてるんだろう、相手のほうが優れていたのなら、それを認めて一緒にがんばろう、とか思わないのだろうか? と疑問に思っていたのだが、どうやら、手のひらを返すのがとても難しい状態にあるらしい。
それは後援会とか、自分を支援してくれた人たちの存在だ。
いままで、自分はこれが正しいだろう、と信じて行動してきた。それを応援してくれる人たちがいた。しかしそれが間違いだったり、相手のほうが優れた案を出してきたりしたときに、「じゃあ、あなたのほうがよさそうなので、そっちに乗り換えます」とは言えないらしい。いままで自分を応援してきてくれた人たちを、裏切る行為だと感じるからだろう。
じゃあ、後援会とか、いらねぇよ…とは言えない。でもそれがないと、政治に勝てなかったし、続けられなかったし、資金繰りもできなかっただろう。
なんだろうなぁ、この足の引っ張り合い。
東京オリンピック誘致なんかも、そうなんじゃないの? 都知事は別にやりたくない、と思っていたって、断るに断れない立場なんだろうよ。それが立場ってヤツなんだろうよ。それ、自分で望んで重くなったのか。そうか、ならば仕方がない。責任を抱いて溺死しろ。