リア充無差別爆弾の謎

高校時代にリア充の友人がいた。顔もかなりよかったし、体系も学力も申し分ないタイプ。僕と彼は同じ部活にいたので、仲がよかった。
彼はとてもモテた。彼女はとっかえひっかえだったし、隠れファンんというべきか、遠くから彼のことを眺めて、桃色ため息をついている女子たちも多かった。
彼はとてもよいやつだった。異性からモテたが、男から嫌がられるなんてことはなかった。人付き合いもよく、くだらねージョークを飛ばすやつだった。みんなに苦笑されるのも、あえて苦笑させていた。僕が悪意のあるいたずらをしたときも「それはよくない。嫌がる人がいるよ」とまじめに警告してくれた。彼は自分の意見をけっして押し付けることなく、やさしく諭した。
僕は彼がうらやましかったが、僕は彼になることはできないことをよく知っていた。それは見た目の問題だけではない。嗜好の問題もある。僕は悪を好むのに対し、彼はきれいなものを好んだ。
リア充なんて願い下げだぜ、と嘯いて、それは最初ネタだったはずだ。ただのジョークだったはずだ。それなのに、いつの間にかそんなことを忘れ、僕はリア充をたたく人間になっていた。
自分の持っていないものを持っている連中が、うらやましくねたましく思うようになっている。ならば、その持っている連中は僕らに何ができるだろう。哀れみ以外はない。
何かをたたいて、何かを攻撃して、何かを押し下げて、自分が上になったつもりか。そんなものはない。自分で立ち上がり、自分を励まし、自分を押し上げるしかない、と知っているのに。おそらく、前者のほうが楽なのだろう。リア充無差別爆弾を爆発させているほうが、楽なのだろう。
それで君は、幸福になれたのかね? 一秒の快楽のために。何千秒もの幸福を棒に振っているのだ。その快楽は、それだけの価値があったのかね?