教育論

営業成績が良い営業マンがいて、そいつが営業部長になるとする。社会では往々に見かける風景だろう。しかし、そうすると、営業部の売り上げは伸びるのだろうか?
僕は否だと思う。なぜなら「営業」と「管理」はまったく別の能力だからだ。この優れた営業マンは、優れた管理者であるとは限らない。ところが、上記のように「営業」が優れているから「管理」にまわされることは往々にして存在する。この場合、個人の才能によって、問題が暴力的に解決されていることがほとんどだ。
誰一人として「管理者」としての教育を受けたことが無い。
大手の企業だとたまにあるらしいが「管理職のための管理教育」というものがあるそうだ。「新入社員のための作業教育」と同じように。なぜなら優れた営業マンだろうと製作者だろうと、管理をしたことは一度も無いからだ。だから本来は、管理職の教育というものを受けたほうが合理的なはずだ。しかし、老人になり、それなりに腕に覚えもあるため「いまさらオベンキョーなんてやってらんねー」というのが多くの人の意見らしい。この管理職教育というものはわりとウケが悪い。
さて、このような状況、通常の教育現場では起きていないのだろうか。教育方法を教育された教員っているのだろうか? 少なくとも数人の教育免許を持っている人材に話を聞くと、数週間実技を行っただけで、何を教えられたわけでもない、というのがほとんどだ。結局、個人の才能によって、問題が暴力的に解決されていることがほとんどだ。
車の運転もそうだが、よくこんなんで社会って成り立つなぁ…。逆か、厳格にそんなことをやらなくても、人間と言うものにはそれだけの才能があり、能力でなんとかしちゃうものなのか。

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しかし、教育現場を見ていると、なんて非合理的なんだろう、と思うことが往々にしてある。なぜ運営と実務がわかれてれてないの? なぜクラブ活動の担当を外部から雇った人間ではなく、教員がしてるの? なぜテスト問題の作成を、教員がしてるの?
この問題を、10年前の教員たちは考え付かなかったとでも言うのだろうか。それとも僕からは見えないなにかの理由があり、現在の状態を維持しているのだろうか。前向きで建設的な理由があると良いのだが。