Twitterをやっていて思ったグループの弱点

Twitterって、多くの人と話をする利点がある。それは「裾野を広げている」という行為だ。これはブログでもmixiでもニュースサイトでも同様だ。そうやって、さまざまな側面を見ている。Twitterをやっていて感じたのは、多くの人と緩くつながり、この緩さが程よいと感じる人が多いのだろうな、という感覚だった。もちろん僕の感覚であり「ぜんぜんちげぇよ!」と言う人もいてもよい。
だが、このように「人とつながることによって得られるもの」つまり「グループ性」によって得られるものは、多面体であり、拡張であり、視野を広げるという行為だ。これは、「裾野を広げている」である。
これの対になるのは、「高さをあげる」である。もっとフォローが増えたら違う感想になるのかもしれないけど、どうやらそうはならないらしい。むしろどんどん裾野が広がるばかりになるだろう。裾野を広げているのが良い悪いという話ではなく、グループ性とはそちらに向かっている、という方向性の話だ。
プロジェクトもそうだし、プレゼンもそうだし、企画書もそうだが、多くの人と打ち合わせてマッシュアップしたものは、予定調和であり、誰にでも理解される、それは良いことかもしれないが、なんだろう…公約数のような、狭さを感じる。それは前後を見ながら進む、慎重で、安全で、防衛的な意志だ。
「高さ」はそうじゃない。公倍数を出したいのであれば、出そうとするのであれば、ただ独り、たった一人、孤独で、どこまでも高い。全員の理解は無理かもしれない。先進的で、攻撃的な、意志だ。
裾野が広くなければ、高い山は築けない。たしかにそれはある。だから、不要とは思わない。広がることの喜びもあるし、多くの人は、そんな高い山を求めていない。
孤独であるということは、そういう攻撃的な意志だ。