全員気を使った結果と、気を遣わなかった結果が同じ

四人で飲み屋に入り、頼んだ料理が一皿五個入りだった。あまった一個についてだが、全員いい大人で、しかも長男長女ばかりの集団の場合、この一個を最後まで誰も手をつけない。どんなにおいしくても、手を出さない。
で、僕は気を使って食べるわけですが。この気の遣い方が、なんか。なんかなぁー。いや、だって僕、べつに大食漢じゃないし。おいしいんだよ。おいしいの。それなのに、なんだろ。この迫害感。
「あたし、おいしいはずなのに…誰も箸を付けてくれない」って料理側も思うだろ。もちろん擬人化した場合ですよ。幼女ですよ。この場合。で、僕とかぜんぜん幼女趣味じゃないのに「みんなおいしいのに食べないの? じゃあいただきますね」みたいな「しょうがねーか感」を出して食べる。
あの感覚。なに。
たぶん周囲の人も「あいつは子供だな」みたいな目で見るんでしょ。僕のことを。いいですよ。弟魂発揮ですよ。おねえちゃん、余ってるの、僕が食べてもいい? いいわよ、食べなさい。やったー。みたいな。感覚。それさぁ、全員気を使った結果と、気を遣わなかった結果が同じじゃないのか。同じでもいいじゃん。それは過程も結果も同じだったとしても、心意気が違うぜ。