文学オタクのつける、その差

「杳として」「寡聞にして」「蓋し」
この単語を使うヤツって、エラソーにしたいだけだろ、と言う文章があった。
そのとおりだと思った。
この単語って、そんなに互換がなくなってしまったの? という疑問もあるが、まあ、そんな互換なんてたいしたことはない。文学オタクだけが使う専門用語に成り下がればいい。
つまり、ザクとグフの違いだよ。「彼の行方は杳として知れない」と「はっきりわからない」の違いは、その程度の違い。全部同じロボットだと思っていればいい。コーチもシャネルも区別できない程度の違いだ。
蓋しオタクのくだらねー拘りなのだろう。
こいつは素敵だ。大好きだ。オタクが選んで使うオタの区別だ。アイマスなんて全員同じだろ、って言われた気持ちを考えれば、その違いがちょっとは理解できるんだろうか。つまり違いとはそういう違いだ。まったく機微で微細で有限で微小だ。くだらねー拘りだ。あ、ちなみに僕は「ようとして」以外は読めませんでした。「かぶんにして」「けだし」だそうです。
参考文:
「杳として」とか「寡聞にして」とかいう言葉を使わなくちゃいけない理由 -- 「文学的」という言葉の意味 --
http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-126.html