幸福の高品質化

貧しい時代がある。ある子供が「一度でいいからお腹いっぱいになるまで、ごはんがたべてみたい」と望んだ。子供はそのへんに落ちている木の実や動物の死骸も食べたが、その子供の望みは叶わず餓死した。それは貧しい時代だったからだ。時代は進み、豊かな時代になった。誰もがお腹いっぱいになるまで、ご飯を食べられる時代になった。そのとき、人は、何を望むだろうか? お腹いっぱいになるまで、ご飯を食べることを望むだろうか? そのとき人は、質の高い食事を望んだ。そのへんに落ちている木の実や動物の死骸を食べる者はいない。スーパーでパッケージされた、日本には自生していない植物の実や、誰かが処理した肉を食べている。
では、幸福はどうだろうか?
有名デザイナーの指輪を買う、高級ブランドのバッグを買う、プレイしていないゲームは山積み、読みきれない漫画は平積み、海外旅行も行ける、好きな酒を飲み、好きな食事ができて、好きな人間だけと一緒にいられる。さて、お腹いっぱいになるまで幸福を望んだ人類は、どうなる?
どこまでも無限に欲望は尽きないのだから、なんでも欲しがるはずだ、と誰かが言った。しかし僕はそうは思わない。欲望に限界はないかもしれないが、少なくとも身に付けられるものは限界がある。バッグを1000個持っていたとして、一年は365日しかなく、腕は2本しかない。一千冊の漫画も一万冊の小説も、読みきれないから選ばれ、選出された優れた本だけが読まれている。ゲームだってやる時間のほうがないし、連続してプレイしても集中できない。スポーツだってそうだろう。さて、幸福はどうなる?
常にお腹いっぱいになれるなら、質の高いものを望むようになる。幸福の質が高くなっていくだろう。幸福なんて、ちょっとで良いのだ。食事なんて、ちょっとで良いように。
さて、僕にとって、あなたにとって、高品質な幸福はなんだろう?