「好き/嫌い」と「利点/欠点」に関連性はない

下の記事を、同様の形状で、システムを拡張できないだろうか? と考えていて、いくつか思いついた。

自分が好きなものの欠点を認めよう。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090311/p3

『自分の欠点を認めよう』『相手の利点を認めよう』『自分が嫌いなものは、欠点だけで構成されているわけではない』『自分が好きなものに欠点があったとしても、それが好き、という気持ちは劣化しない』『自分が好きなものの欠点は、誰が決めるのか?』そんなことを考えていて、ふと思いついた。
「好き/嫌い」と「利点/欠点」に関連性はない、ということだ。
「利点/欠点」とは、つきつめていくと「理由」だからだ。利点を述べることで他人から理解を得たり、欠点を述べることで、他人の意見をへし折ったりする。理由とは、他の理由への攻撃と、他の理由からの防衛のためにある。それが理由がある理由である。つまり「理由」の主体とは「他」である。理由とは他人のために存在している。利点/欠点を考えるのは、他人のためだ。
対して「好き/嫌い」の主体は「己」だ。理由はいらない。ただ、他人を納得させるため、自分を客観的に見て自己弁護として「理由」を用意しているだけだ。本質として何かを好きになる理由などないし、いらない。ただなんとなく良いと思うだけ。理由は、後からつけたガイドのようなものだ。
「こういう欠点がある、だから嫌い」の「だから」は使い方が間違えている。「こういう利点がある、だから好き」の「だから」も同様だ。ただ、そういう言い訳をしているだけ。それで納得するのは、他だ。己ではない。
「理由はねぇが気に入らない」「なぜかわからないがそれが好き」それを受け入れるのが、難しいかもな。犬猫なら簡単に受け入れられるのに、人間になってしまったせいで、できない。それは利点か? それは欠点か?