拘束され慣れていない

友人(男)が、ブラジャーをつけたときの話。男性用ブラというものが売り出され、一部で話題になっているが、その話ではない。その男が、彼女に言われて、彼女のブラをつけたという話だ。彼女の命令で無理やりつけたのかどうかは…定かではないが。身に着けると、ぜんぜんきつくないのに、息苦しいから嫌だ、と感じたらしい。それを聞いた彼女が「なんで? 余ってるじゃん!」と言った。
僕がその話を聞いていて思ったのが、男性って、あまり拘束され慣れていないんじゃないのか? ということだった。
以前、マニキュアを塗ったときに思ったのだが、これってゆびさきが拘束されている気がする。ゆびさきが拘束される、というのが理解できないやつがいるかもしれないが、マニキュアを塗ってみるとわかるかもしれない。化粧をしたときも、皮膚が一枚、覆われているような、拘束されている気分で、はやく落としたかった。ところが女性はこれを毎日やっている。男性は、それをやっていない。
人間はさまざまな物理的心理的拘束を受けている。不自由なのだ。ところが、その自由と不自由を、認識できない。たとえば衣服は、着ることを拘束されていると認識できないほど、なじんでいる。大半の人は、衣服の拘束に慣れているのだ。ところが、衣服の拘束に慣れていない犬がいて、そいつに衣服を着せると、すごく嫌がる。靴なんかもそうだし、髪の毛なんかもそうだ。同じように女性はブラの拘束され慣れている。男性はその点に関して、拘束され慣れていない。