犯罪と志の同一性

あいつを殺したいとか、会社の給湯器に毒を盛りたいとか、見知らぬ幼女とにゃんにゃん(死語)したいとか、思うだけなら自由だ。どんな残酷なことだろうと、それはただの悪意でしかない。それをやってしまうのと、やらないのは、巨大な隔たりがある。犯罪をしなければ何も問題はない。
そしてそれは全ての行動においてそうだ。
どんな高い志も「やらない」のであれば、意味はない。
行動と言う観点において、両者は同一になる。