改行位置について

携帯小説あたし彼女」のような改行方法は、携帯電話の横一列に表示できる改行である。おそらくだが、どんな携帯電話でも、あれが一行で表示できないなんてことはないだろう。携帯小説とは、そういう「装丁」なのだ。
逆に言うと、携帯小説というものは、携帯で見ることが前提に作られており、その他は考えられていない。ハードウェアありきな存在であり、本という形状にしてしまうとその芸術性は損なわれるだろう。
芸術は、ハードウェアに依存しないものでありたい。もしくは、ハードウェアを超えた芸術性を有していると思いたい。在りたいと願うが、実際にはハードウェアに引っ張られてしまう。誰もが知っている名タイトルの古いテレビゲームのようにプレイされなくなってしまう。原文の宮沢賢治の詩のように、時代によって読みづらくなってしまう。漫画もアニメも同様だ。
さて、そんな中で、ブログの文章の改行についてを考えてみる。たとえば僕の改行方法は、2種類ある。まあだいたいこれぐらいの文字数かな、という塊で改行する方法と、内容が展開するという方法だ。携帯電話では読みづらいかもしれない。実際、携帯電話で自分のサイトを見たことがあるが、こんな文字ばっかりをよく読むものだと思った。しかも一行が長い。僕が携帯電話で認識できる一行の文字は、かなり短いのだ。
では最適化された改行とはなんだろうか? 最適化された文章とはなにか?
答えは『そんなものは存在しない』となる。
見る人間による。見るハードウェアによる。句読点とは、文章にリズムを作り出すための記号だ。どの位置で改行するのが正解というものはない。
ただ、少なくとも自分が読みやすい改行にしたら良いと感じる。誰一人賛同者がいないより、ただ一人でも、自分だけでも賛同してくれるほうが、マシだと思うからだ。
僕は自分の文章をPCのテキストエディタで見る。だからそれにあわせた設定にしてある。改行も一行の長さも句読点も、テキストエディタで見たときに、自分が読みやすいと感じる量にしてある。たまにブラウザで見直すと、気持ちの悪いときもあるが、その場合は直すこともある。