家族で一緒に暮らすのは、貧しいからです

昔、社会がもっと幼い時代、少なくとも今から30年ほど前は、人間が一人で生きることは問題が多かった。それは社会が幼く、脆弱であったためだ。スーパーやコンビニなんて考え方はなく、平日昼間しか食料を調達できなかったし、店頭にいかなくては商品が手に入らなかった。一人暮らしをすると、労働している間、それらのサービスを利用することができなかった。だから昔の一人暮らしは、かなりの苦労を強いられただろう。
ところが今は、24時間365日サービスが受けられるものが増えている。本屋もCD屋もすべて宅配だし、新幹線や飛行機のチケットだって簡単に買える。食料品は安価で安全なものが常に取り揃えられている。銀行だって一部はネットバンクになり、携帯電話の普及で各人が端末を持ち、常時サービスを受けられる時代になった。そんな現代でもまだ弱い、と僕は考えている。24時間365日、市役所や銀行がやっていない、サービスが受けられない、というのは、つまり脆弱だからだ。もっと豊かになるだろう。
さて、そんな現代において、いったいどこに結婚する必要がある? いったいどこに、他人と共に住む必要がある? 他者共同生活をする必要はどこにもない。
誰かと同居する理由は、コスト以外にない。逆に言えば、コスト問題が解決したら、誰も他人と一緒には住まない。「いいや、コスト問題が解決したとしても、他人と一緒に住みたい」という人間はもちろんいるだろう。だがそれは、そういう遊びに過ぎない。昔のように共同生活を余儀なくされていたわけではない。余裕だからだ。そう、余分である。
昔は、一緒に住まなくては生きていけなかった。共同生活者がいなければならなかった。そうでなければ、生活は難しかった。子供を作ったほうが生活が楽になった。親と同居したほうが生活が簡単になった。そういう形状だったのだ。そういうサービスがなかったからだ。だからみんなそうしていた。みんなが貧しいからだ。逆に、昔は、仕方がなく一人暮らしをした。不利点が多すぎた。だから家族と暮らしたがった。
しかし、そんな貧しい社会でも、社会が弱い、と言えた人間には、理解できたはずだ。家族で暮らすのなんて、嫌でしかたがなかったが、コミュニティを抜けて生きてはいけない。貧しく幼い社会だからだ、と言えたはずだ。
では現代はどうだ? 今ほど裕福な世界が、過去にあっただろうか? 全員が裕福になればなるほど、一人暮らしになっていくだろう。さて、問題は、そこからどこへ行くか、だ。