鬼の首を取った

鬼の首をとったことがない人間が、鬼の首をとったように振舞う。本当に鬼の首をとったことがある人間ならば、「ああ、鬼の首をとってしまった」と思うだろう。もしくは取らざるを得なかった、だ。
これは喧嘩の状態でも同様である。喧嘩をしなくてはならない状況を作ってしまった。勝たざるを得ない状況を作ってしまった。その時点で、損失を出している。本当に優れているのならば、喧嘩はしないし、勝ち負けはないし、鬼の首はとらずに、すべてを味方につけられるはずなのだ。
議論のフリや、評論のフリをした言い争いを見ていても思う。相手を信頼し、問題にまじめに取り組み、自分と同じように意見を持とうと努力している相手に対して、ネガティブキャンペーンなどやっている連中を信用できるのが、不思議でならない。相手をへし折って叩き割ってぶっ壊す程度の連中に、どれだけの価値がある?
駅前で相手の政党を批判し、自分の政党が正しいと論じる政治関係者がいる。朝から愚痴を聞かされるサラリーマンが、自分に投票すると思ってあの行動をとっているのだろうか? それぐらいバカで図太い無神経さがないと、政治関係の仕事なんてできないのかもしれないが。そんな程度だから、鬼の首ごときも取れないのだろう。平和な証拠か。
総理大臣は、猫とかにすればいいと思う。ようするに誰がなってもそんなに問題がない。平和な証拠だ。