エロ本の隠し場所は、なぜベッドの下なのか?

男なら誰もがこの苦難を受けます。それはエロ本を隠すという困難です。
どこかの悟りきった男ならば、平然と本棚に並べるかもしれないし、どこかの諦めた男ならば、エロ本をすべて捨てるかもしれません。しかしそのような究極的な判断のできる人間なんど極一握りの頂点であり、大半の人間はこの苦難に立ち向かい、たいていの場合、辛酸を舐めます。ところで舐めるって字がエロいですね。話を戻します。
エロ本の隠し場所とは、親兄弟との戦いの場でもあります。ちなみに僕は、自分がこっそり所持していたエロ漫画を、小学生だった妹の手でカラーリング(色鉛筆で塗り絵)という屈辱を受けたことがあります。それで親からも怒られました。怒られたときの台詞は「ちゃんと隠しなさい!」だったのが印象的です。良い親ですね。ホントに。いや、ホントに……。
それからというもの、僕はエロ本を隠す場所について、子供ながら(もう精通してるから子供じゃない、とかそういう意見は却下します)に工夫したものです。天井裏も試したし、スピーカを分解して内部に隠したこともあります(もちろん親にバレましたけど)そこで気づいたのが「エロ本を隠すという行為は、機能としてコンフリクトする」ということです。
なにがコンフリクトするのか。それは「隠す」という行為と「使う」という行為です。エロ本が絶対に見つからない隠し場所、というものは、確実に存在します。ところが、そこに隠したとすると、今度はそのエロ本を使うときに、アクセスするのが非常に困難になるのです。押入れの奥に仕舞われた本を読み返すのが大変なように、隠し切ってしまうと、簡単には読み返すことができない。
学校の国語の教師に言われました。
「辞書は箱から出しておけ」
箱に入っているだけで、辞書を引く頻度は下がる。たったそれだけの手間でも面倒になる、という教えなんですが、エロ本も同様です。そのちょっとしたことが面倒になる。見つけられない場所深くに隠すとき、それはすぐにアクセスできないところです。
というわけで、エロ本がなぜベッドの下にあるのかと言えば「アクセスしやすいから」です。つまり、それが素晴らしく良い場所、というわけではない。単なる妥協の結果なのです。部屋に入った瞬間、その本が見えない、というレベルであり、これは『子供側の気遣い』です。
そう。本質的な意味で、「隠す」のは「気遣い」です。悟りきった男ならば、隠さず本棚に並べるでしょう。もしくは床に平積みします。そのほうがアクセスが早い。しかし、それをあえて隠している。あえて、です。いったい誰のために? それは他人のためです。
だからお母さん。子供との知恵比べに勝った気にならないでいただきたい。隠しているのは「気遣い」ゆえです。たとえ見つけたモノがママ属性だったとしても、そっとしておいていただきたい。BLもそうだし、フタナリもそうですが、そういう「ファンタジー」が好きなだけで、あなたを狙っているわけではないのです。だいたい本物の人体の断面図や「ひぎぃ」なんて悲鳴や「あたしの下着がえっちなお汁で汚れちゃうよ」なんて説明口調が好きな人間はほとんどいません。あと兄弟は、エロ本を自前で調達していただきたい。見つけるのは自由ですが、貸し借りはナシです。特に僕のふぇいばりっとを持ってくのはよくないです。ただでさえお兄ちゃん、ものすごい量のエロ本を所持していて、管理しきれていないのです。お小遣いの大半をつぎ込んでいるのです。もう後半から超個人的な愚痴になっていますが、とにかくお母さんは息子のベッドの下を見るとき慎重に、初夜のようなトキメキと、娼婦のような妖艶さを持って挑んでいただきたい。ショタのアナル拡張ものが出てきたら「ウフフ、イキナリなんて無理よ。ちゃんと柔らかくて細いものから順番に訓練しなきゃ」と笑えるぐらいの余裕を持つと良いでしょう。何が良いのか、さっぱりわかりませんが。