頭が良い、とは何か?

頭が良い人というのを時々耳にしていて、どうも統一性がないな、と感じていた。何を持って頭が良いと言うのかが、よくわからない。なんというか…人によって違うのだ。あの人は頭がいい、と聞いたが話してみても普通だったり、頭が悪い、と称される人と話してみたが、なかなか面白い話をするヤツだったりする。もちろん僕から見て、という話だ。では、頭が良いとは相対的なものなのか? 頭が良いとはなんだろう? 「学校の成績が良い」という意味では、あまり使われないようだ。
そこでちょっと考えたんだが、他者が僕を評価するとき「k4は頭が良い」と言われることがあるのだろうか? その場合、僕は常に頭が良いのだろうか? それとも一時的に現れる「現象」に過ぎないのだろうか? 逆に僕が他者を評価するとき「○○さんは頭が良い」と言うことがある。ではその場合、その○○さんは常に頭が良いのだろうか? それとも一時的にその場だけ「頭が良い」のだろうか?
よく天才の話をするが、僕は天才とは絶対的な超越であると考えている。そして、それは「現象」であるとも考えている。多くの人が、天才であった瞬間があるはずだ。再現できない思考の飛躍こそが天才という現象だ。誰だって、煌きに似たものを見たことがあるはずだ。この世の全ての謎が解けたように「ああ、そういうことか」とすべてがわかった瞬間があるはずだ。それが「天才」という「現象」だ。(その現象が頻繁に起きる人、もしくは起こせる人、そしてそれを他者に認識させることができる人が、世に言う天才だ)
では「頭が良い」とはなにか。これも「現象」として捉えることが可能なのではないか?
これは「体調が良い」のと同じ扱いをするとわかりやすいだろう。なんとなく、そう思い込める状態。目が覚めて、何かをしていると、不意に思うのだ。「お、今日は頭がいいな」それは他人からは観測できない。内面における思い込みだからだ。
もし「頭が良い」のを「現象」だと捉える場合、他者の観測における表記は「彼は頭が良い」という言い回しは正しくない。「彼は体調が良い」と他人が判断するようなものだ。「彼は体調がよさそうに見える」というように「彼は頭がよさそうに見える」という表記になる。そして自己評価の場合、「僕は今日、頭が良いんだ」という表記になるだろう。
さて、あなたは今日、頭が良い? 頭が悪いなら、どうしたら良くなるだろう? 少なくとも一人ひとつしか持っていないし、使えるのはあなたしかいない。