良いニュース、悪いニュース

「お姉ちゃん。良いニュースと、悪いニュースがあります。どっちが聞きたいですか?」
「お前が良いか悪いかを決めるな。ニュースに良いも悪いもない」
こんにちは、k4です。
二つのニュースを書いてみる。
ひとつは「火災で老人とその飼い犬を助け出した消防士」のニュース。もうひとつは「酔っ払い運転、交通事故で男性一人死亡。犯人は自首」のニュース。
多くの人が、前者を良いニュース、後者を悪いニュースとして捕らえている。
それは読む側の自由だ。読む側がどう分類しようと、自由だ。
しかし、これが「良いニュース:火災で老人とその飼い犬を助け出した消防士」「悪いニュース:酔っ払い運転、交通事故で男性一人死亡。犯人は自首」と、発信側が言うのは間違いである。現在の報道のほとんどが、この形状だ。
ニュースに良いも悪いもない。
ひとつ、作り話をしよう。

ある老人がいた。この老人は偏屈で、周囲からも嫌われており、子供に犬をけしかけ、何人もの子供をかませて喜ぶ心底クズだった。時々、子供の親に見つかり、怒られたりもする。老人は自分を怒った大人をしっかりと覚えている。夜の犬の散歩にまぎれて、老人は、そいつの家に放火をするのだ。記事にはかかれない。もちろん、家族は全員焼け死んだ。助かったのは老人と犬だけだ。
記事に書かれたのは、果敢に火事に立ち向かった消防士の話だけだ。
ニュースの見出しは「良いニュース:火災で老人とその飼い犬を助け出した消防士」


「良いニュース」と決めるのはだれだ? それは読む人間が決める。ニュースは事実のみを伝える。ニュースが「良いニュース」を決めることはない。では「悪いニュース」の作り話は自分で考えてみよう。いくらでもできるはずだ。
さて、テレビをつけてみよう。新聞を見てみよう。いったい、どこが「ニュース」を流している?
秋葉原の殺傷事件は、前代未聞の恐ろしい事件? それはニュースが決めることじゃあない。視聴者が決めることだ。ニュースキャスタ、コメンテータ、ニュースライタ、どれも表情も感情も不要なのだ。報道はあった事実だけを述べる。感情を表現した時点で、すでにそいつはただのエンタテイメントだ。ニュース(報道)ではない。
しかし、ニュースだけを流していたら、視聴率が取れない。だからエンタテイメント化してしまう。つまり見ている側がエンタテイメントを求めているのが問題なのだろう。だがこれは別問題の話。

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USBラジオチューナ 買ったけど会社だとAMが入らないよぅ。