それは本当の傷を知らんからだ

深い話とか、感動したとか、泣けるとか、感銘を受けた話とか。いろいろそういう「イイ話」のネタというか小噺を聞く。それを読むとわりと泣けたりもする。でも、なんというか、そのほとんどって、剃刀程度の傷の深さだ。泣ける程度の傷の浅さと言うべきか。本当の深い話でエグられたこと、ないのか? その後、障害が残るほどの傷を負ったことないのか? 泣けるとか、感動するとか、そんな程度の傷じゃあない。もっと絶望的で、巨大で、あまりに遠い。そういう傷だ。絶対にあるはずだ。ただ、認識できていないのかもしれない。
あるとき僕は、天才に圧し折られたことがある。圧倒的なエネルギーだった。僕は完全に折れ曲がり、向かうべき先を見出した。傷を受けたのは十数年も前だが、深遠はあそこだ、と今でも僕は信じている。十年経ってもその傷は癒えない。そういう障害を負うほどの、深い傷を受けたことがある。
おそらく、宗教や観念、価値観などの、いわゆる思想という傷は、天才の発した圧倒的なエネルギーでへし折られた結果だ。その後の人生に障害が残るほどの傷だったのだ。
多くの人は、そういうレベルの傷を受けている。そもそも、人間という規格に組み込まれたことこそが障害であり傷なのだ。
他人が言うところの、深い話とか、感動したとか、泣けるとか、感銘を受けた話とか、そんな程度の自傷で喜んでんじゃあない。もっとすげー惨殺機械が世の中には、いっぱいある。それを見つけられるのは、探した者だけ、そして見つけたヤツだけのものだ。もっとすばらしいものを見ることができるはずだ。もっと深く食い込み、へし折られ、食い尽くされたい、と思う。