男の器、女の器

他者の評価の種類のひとつに「器」というものがある。「器が小さい」とか「器が大きい」など、多くの場合は大きさで評価する。大きいほうが基本的には良いとされる。そう思い込みたいのだろう。他人から「器」の評価をされたい人間が、他人の「器」を評価するようだ。どちらでもよい人間には、まったく関係が無い。
金銭感覚のソリが合わない、話し方に知性を感じない、動きに無駄が多くて気に入らない、というヤツは、たしかにいる。でもそれは僕とあわないのであって、他人は知らない。よって、僕には器の大小という評価方法が、存在しない。器が大きい、というのは、そういう見せ方であり、ネタである。
器を気にする人に聞いてみたい。「器」ってどんなに大きくても、それ自体はただの空っぽに過ぎないではないか。