夢、覚悟、努力、がんばる、…などの単語

夢とか覚悟という単語に憧れる人がいるようだ。
僕のように枯れ果てた人間から見ると、なんか、ちょっとノスタルジィな感じではある。本を読んでいると、そんな単語であふれているし、映画もアニメも同様だ。さて、そこで僕は考える。その希望を見出すための単語の正体は、いったいなんだろう?
思うに、努力した、がんばった、というのは、ただの言い訳だ。そんなものは存在しないと言ってよい。
在るのは「行動した」か「行動しない」かだけだ。物理現象に過ぎない。
結局、多くの人が、そういう言い訳を用意しないと行動できない。イチローが努力したのかどうかは、他が観測したときの評価であり、本人は真剣に取り組んできただけだろう。
そこで疑問なんだが、夢、覚悟、努力、がんばる、…などの単語を使う人は、その予測された未来に向かって、どのような行動を取ったのだろうか。億千万の言い訳を用意して、まだ一歩も動いていない、なんてことがないといいね。
僕ですか? 僕の言い訳の量は那由他より多いので安心です。