おもちゃで遊べ

ある日、行き着け、というほどではないにしても、わりと頻繁に訪れるおもちゃ屋の店内をぶらぶらと歩いているときに、ふいに思いついた。ああ、なんてここは、夢みたいな世界なんだろう、って。
おもちゃ屋が好きだ。
大きくなったらおもちゃ屋さんになりたい、というほどではないが、おもちゃ屋を歩いているのは、とても幸福な気持ちになる。なぜだろうか? 僕には子供はいない。なのに、いかにも低年齢対象の着せ替え人形や、ミニカーや、テレビで流れているカラフルな変身ヒーローの乗り込む変形ロボットを、頻繁に見ている。
楽しいのだ。なぜだろうか?
おそらく、そういう人間の意志を感じるからだ。おもちゃを作ったのは、大人だ。大の大人が、いい年コイて、楽しいモノを作ろう、として作り出したモノだからだ。おもちゃ屋に並べられているおもちゃには、その意志を感じる。
みんなが面白いことをしようとして、作り出した。みんなが新しい遊びを考えて、あそこに並べている。みんなに楽しんでもらえるように、みんなが楽しくなるようなものを、みんなが欲しくなるであろう形状にして、たしかに存在しているのだ。
その意思はすごい。みんなで楽しいことをしようとする、楽しさが伝わってくる、人間の意志こそが、おもちゃ屋を楽しくしている。こんな贅沢なことがあるか? 生きるのに必死、食べるものを得るために働く、そんなヤツラを一蹴する、この余裕のある、豊かで、満たされた、おもちゃの王国だ。
漫画や、小説や、映画や、アニメ、その他の、あらゆる娯楽と言われるものは、そういった、人間の意志だ。楽しませたい。おもしろいことをしよう。そういった意志が、たのしいことを生み出している。