年収一千万を蹴った男と、金を払わないでガスを止められた男の話

ある男の話をしよう。
そいつはグーグルへの就職を蹴った男だ。年収一千万は固いといわれる世界の誰もが知る大企業。背がすらりと高く、プログラマとしてもSEとしても優秀な彼は、強がりでも、見得でもなく、その就職先を蹴った。彼の所属するチームの10人中7人はグーグルに就職するという。
なんで蹴ったのかと聞くと「宗教みたいで気持ち悪い」とのこと。「とにかくこの企業はすばらしい」と従業員が同じ目をして言うそうだ。そこが怖い。昔のアップルはそうだったと、聞いたことがある。なんだかわかるような気もする。
さて、ある男の話をしよう。
そいつは、まったく片付けができないボンクラで、つい先日、金を払わずにいると、家のガスを止められた。自炊するわけではないから、まあいいか、と思っていたが、シャワーも浴びられず、銭湯に通っているという。部屋には何百本というペットボトルを溜め込んでいて、ようやく捨てた。
そいつがフランスに短期留学することになった。彼はフランス語の単位が取れず、留年しているというのに、である。フランスは物価が高いので(今はドルが安いだけで、円が高いわけではない)中国人とイタリア人とルームシェアして生活するそうだ。外食生活はできないらしい。向こうでもらえる賃金は少なく、彼は仕方なく自炊することを検討している。

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この上記に存在する「すげーカッコイイある男」と、下記に存在する「心底ダメなある男」は、同一人物である。このコンフリクトするであろう二つの現象は、ごく自然に一人の人間として存在している。思うに、人物像、というものの情報とは、それを発信した人間がどのように情報を整理し、どのように送信したかに依存する。彼をかっこよく見せたいのなら、上の表記を使い、彼をかっこ悪く見せたいのなら、下の表記を使う。かっこいい、かっこ悪い、なんてものは、そういった側面にすぎず、人間という多重構造多面体の、ほんの一面だけだ。