「学びすぎ」ないのはなぜか?

働きすぎな友人がいる。働くのが好きなのだろう。
食べすぎな友人がいる。食べるのが好きなのだろう。
だけど、学びすぎな友人を見たことはない。
根詰めすぎだから、多少息抜きをしなさい、と言われるが、それはコン詰めすぎか? 勉強しすぎではないのか? なぜ学びすぎは存在しないんだ? 学びすぎたときに弊害がないからだろうか? 考えすぎはあるようだ。しかし考えすぎ、というのは、基本的にマイナス思考に囚われていることであり、プラス思考に考えすぎというものは、あまり聞かない。プラス思考に考えすぎな場合は、「考えていない」と評価される。○○過ぎ、というものは、そもそもマイナスにしか存在しないのだろうか? だとしたら、学ぶということは、永遠にマイナスはない、ということだろうか?