ペットの安楽死は人間のエゴか?

あなたはペットの最後が看取れるか? 長年連れ添ったペットの最後を人はどうするのか、という話がある。安楽死を選ぶ人もいれば、最後まで病院を探し回る人もいた。夜、自分が寝ている間に逝くことを望む人もいれば、昼、自分の腕の中で逝くことを望む人もいた。なぜかこの話をする人間は、誰もが悲しそうで、誰もがやさしかった。誰も他人の判断を責めたり、否定したりしない。行動は違えど、それが愛情から発したものだと、信じているからだろう。
僕は、ペットを飼うこと、そのものがエゴだと考えている。どこからおかしくなったのか、という問いの答えは、最初からだ。エゴでなにが悪いのか。望んで子供を生むように、望んでペットを飼っている。そう望んだ。
安楽死については、なぜ人間に導入されていないのか、と思っている。これが不治の病に苦しむ親兄弟だったらどうだろうか? これが死を望む愛する人だったらどうだろうか? 現在、公的に死ぬ方法は、死刑しかない。
ペットは死ぬものだ。生き物は死ぬものだ。ところが「いざ」となると動揺してしまう。それが人間の優しさかもしれないが。本当のところ「いざというとき」というのは、もうすでに「手遅れ」なのだ。重要な思考とは「いざ」よりも、ずっと前にある。