解決が「死」しかない困難

老人介護の問題に直面している。
僕の周りには…いや、日本全国で見てもそうだが、国民の誰もが正義の味方で、愛情にあふれ、善意を持ち、信仰に厚く、徳高い人間が多いせいで、この問題は簡単には解決できないと感じている。
老人ホームの現状は、入るのに500万円ほどかかり、さらに月額20万円かかるのがザラで平均的だ(ちょっと安いぐらいかも)それでも「待ち」が常時100人ほどいる。さらに、介護レベルが変わると、入れない老人ホームもある。この月額20万円には介護保険が使われているため、実際にかかっている費用はその10倍ほどだ。それを税金でまかなっている。老人ホームに入れない老人たちは、家にいて、他人から介護を受けないとトイレも行けない者も多い。そういった人間が、全国の年間自殺数の何十倍ほどいるのだ。(要介護の老人の人数は平成16年度で200万人ほど:厚生労働省のデータベース参照)
だけど、介護老人たちは健康になってどうする? 自分でトイレに行けるようになりました。ああ、そう。よかったね。それでそれからどうするの? その老人たちに使われる金は、将来何かのためになるの? 正義や愛や善意や良識や道徳や倫理はわかるよ。みんなそれがあふれているから、問題が巨大化しているんじゃあないのか?
介護情報や介護について書かれている各種の文書を見ても、助けよう、生かそうという方向性の情報、保険はこういうものがありますよいう説明の情報、介護疲れや老人ホームに入れないと嘆いている方向性の情報に分類することができるが、それってどれも問題解決方法じゃない。それはどこにも示されていないのだ。
母親に百億円の値段をつけても安いと言った、ブラックジャックはどうするだろう。そのとき、母親はどう思っているだろうか。歩くことも困難な老人に、精一杯生きようと努力しろ、と叱咤できる子供がいるだろうか。