漫画が子供のものだと思っているのはなぜだ?

久しぶりに会う知人に言われた。
「漫画なんていつまで読んでるの? 子供みたい。いい加減に卒業しなさい」
こういう考え方は、芸術というものの造詣が浅い人間に多い傾向だ。もちろん個人の自由なので、勝手にそう信じていれば良いし、僕の対応は、そいつから距離を置く程度である。アニメも、テレビゲームもそうだ。プラモデルもそうだが、なぜ、それらの娯楽は「子供のものだ」と認識されてしまうのだろうか。
僕の答えはこうだ。
「君こそいいかげんに、恋愛や飲酒を卒業したらどうかね?」
盆栽をしている老人に「いい加減に盆栽なんて卒業しなさい」とは言わない。少なくとも言われたことはない。陶芸や園芸はどうだ。絵画や音楽はどうだ。言われたことはない。なぜだ? なぜ漫画やアニメやテレビゲームは、子供のおもちゃという「自分よりも低レベルなものがやること」と思うのだ? 子供に理解できるから、レベルが低い、となぜ思うのだ? 自分がそんなにレベルが高いと信じられるのだろうか。それとも何か違う理由だろうか。
趣味に上下は存在しない。スタンドに強い弱いの概念がないように、王には王の、料理人には料理人の娯楽がある。高尚などというのは、幻想にすぎない。哲学など、スカトロでウンコを舐めているのとまったく同じ程度にして良い、と考えている。ただ違いがあるとするならば、それがただの動物的欲望ではなく、人間性のある、知性の宿る欲望であるかどうかの違いだ。
酒を飲み、食欲を満たし、惰眠をむさぼり、性欲に流され、大声で叫び暴れるのは、実に快楽であり、娯楽である。だがそこに人間性はあるのか? 知性はあるか? 君と、その辺の犬と、何が違う? それを考えたなら、漫画も、ゲームも、アニメも、明らかに、人間性の高い、なんの生産性もない芸術である。
だから、まあ、漫画もゲームも、やらなくていい。やりたいなら、やればいい。恋愛が好きな人はするといい。それぞれ個人が、楽しいと信じることをするといい。恋愛という娯楽に命を懸けている人間は、わりと多い。同様にプラモを作る人間がいる、というだけだ。