万年G組! オナニー先生! −妄想と感覚−

擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。食欲もこんなふうに簡単に満たされたならよいのに。
ディオゲネス

オナニーしてますか! オナニーできればなんでもできる!
…こんなことを本気で言ってる人がいたら、近寄らないようにしましょう。危険を回避できないのは運が悪いか、無能かのどちらかです。どちらもだったりして。こんにちはk4です。イキナリ頭悪く知性の低いスタートにしてみましたが、今日はオナニーの話。
オナニーを眺めていると、いくつかの認識があることがわかる。アダルトビデオ以上に隠蔽されがちな情報なためか、どうも人によって違うのに、ソレひとつしかないと信じていることが多いようだ。人のセックスを笑うな!という本が売れているそうですが、同じように人のオナニーを笑うな!と言ったところでしょうか。たとえば、セックスができないからオナニーしている、という認識をしている人がいるようだが、少なくとも僕の認識とは違う。モテないからエロゲーをしているのも同じ。エロゲーをしたいからするのだし、大金があっても吉野家に行くのと同じである。たぶん財布に100万円入っていても、カップ麺の残り汁におにぎりをぶち込んで食べる。最近ハマってるから。すげぇウマイ。
話を戻して。
オナニーのやり方は千差万別だろうが、オナニーの方向性のひとつに「妄想」と「感覚」というものがある。
「妄想」とは、写真やAVを使う、たったひとつの冴えたやり方。これが発展していくと目を閉じても脳内セフレが立ち上がり、やがては感覚的な快楽を必要としなくなるだろう。
「感覚」とは、己の器官の快感のみを使う、たったひとつの冴えたやり方。映像が妄想などに頼らず、肉体的な快楽のみに依存する。発展していけば、精神など肉体の玩具にすぎない、というニーチェの思想にたどり着くだろう。
どちらが優れているかではない。同じ結果を目指しながら、両者は向いている方向性が違うということだ。オナニーの究極は、心、体、技にある。この三角形の妄想を心、感覚を体を頂点とし、技を磨くのである。精神だけでは足らず、肉体だけでも意味はない。何を目指すのかを考え、そこに至るための努力をする必要がある。オナニーしてますか! オナニーできればなんでもできる!
…こんなことを本気で言ってる人がいたら、近寄らないようにしましょう。危険を回避できないのは運が悪いか、無能かのどちらかです。どちらもだったりして。