カップ麺の食べ方

学生時代、僕はかなりカップ麺に凝っていた。発売される新製品のカップ麺を片っ端から食べるような子供だった。そのとき、初めてキッチンタイマーと言うものを購入した。父親から「3分きっかりに食べるとうまいのか?」といわれたとき「1秒の誤差もないほうが良い」と答えた。
そんなある日、友達と集まって遊んでいると、友人の一人がカップ麺にお湯を注ぎ、1分ほどで蓋を開けて食べだした。僕は驚いて「1分しか経ってないぞ!」と警告すると、友人は「3分も待って伸びたラーメンは生ゴミだ」と答えた。
たぶん、多くの人が、いろいろなものを食べ、いろいろ試した結果「最良なものは3分」という時間が生まれたはずだ。その時間に敬意を払っていた。しかし食べるのは誰だ? おいしいと感じるのは誰だ? 3分と表記されているカップ麺を、何分で開けるか? その自由を誰が認識するのか。敬意を払っているのと、盲信しているのは違う。僕は今、2分でカップ麺を食べ始めることにしている。それが自分にとっての最適だからだ。他人の意見は知らない。好きなようにすれば良い。紅茶を淹れる時の分数も、コーヒーを淹れる時の濃さも、どの程度がよいと表記されているときがある。もちろん自由だ。それが最適だと誰かが決めた。それに従うのは自由だ。そしてそれと同時に、自分好みに調整する自由もある。とりあえず始めてのときは、表記どおりにやってみる。そしてこうしたらより良くなるのではないか? と試してみることにしている。