ダイアログ・イン・ザ・ダークシリーズ04 感覚は鋭敏になったのか?

人間は情報収集の80%を視覚が占めている、とよく言われる。その視覚情報をさえぎることで他の感覚が鋭くなる、という話も聞く。では視覚のないDIDの中では、どうだっただろうか?
正直に書くと「普段と同じ」だった。何か期待している人もいると思うが、少なくとも僕はそう感じた。飲み物を飲んでおいしく感じるとか、より匂いを強く感じるとか、まったくない。普段と同じ。飲んだグレープフルーツジュースは柑橘系ですっぱさの残る、安いジュースの味だった。少なくとも有名ホテルで出てきた絞りたてのグレープフルーツのジュースのほうがずっと香りも味も舌触りもよかった。触った果物の匂いはかぎ覚えのあるものは区別できたが、ないものは青臭い植物の匂いだった。これも無農薬で作ったとか、自分で育てた野菜のほうがずっといろいろなものを強く感じた。土も水も同じで、嗅覚や触覚が鋭敏になったわけではなく、記憶にあるかないかだけだった。
缶ジュースを手渡されて飲んだ。飲み物が入っている箇所の缶は冷たく、入っていない箇所は気温と同じでぬるくなることに感動している人もいたが、そんなのは別に普段から感じている。特別視することもなかった。
視覚情報がない人間は、どうやって缶の中に入っている飲み物を見分けるのか? という疑問の答えは「整理する」である。実際の分別方法は、DIDを体感するとわかるだろう。数学のように、過程が重要だ。答えは「整理する」だ。
視覚障害者の家は常に整理されているはずだ。そうしないと物体を見失ってしまうから。決まったものを決まった位置に置き、決まった形を決まった高さに置いてあるはずだ。そうやって障害を減らしている。
DIDで味覚や嗅覚が鋭敏になる人間もいるだろう。そして僕のようにならない人間もいる。人によって何を感じ、何を考えるかは違う。僕はそう思った、というだけだ。僕はそう感じた、というだけだ。何度も書くがどちらが優れているかではない。自分はどう思ったのか、どう感じたのか、をアウトプットし、他人と話してみることだ。そこに差があるはずだ。それが人間の距離だ。それが主観だ。主観の集合体こそが客観性である。完全な客体などない。