ダイアログ・イン・ザ・ダークシリーズ02 グループと困難(問題)の定義

唐突に手を握られたり、抱きつかれたり、杖でつつかれたら、君はどう感じる?
DIDは真っ暗闇の中に、老若男女、かまわず数人がグループになって入れられる。ちょっと不思議に思うのだが、あの中にいると、なぜかグループには連帯感が生まれる。たぶん釣り橋効果だと思うが、全員が善意にあふれていて、ちょっと面白かった。
あそこでとても危険なウソを言ったらどうなるだろう? たとえば室内にある物を思い切り投げつけてみるとか、階段で突き落としてみるとか、その気になれば可能だっただろう。声を出さないだけで、もう誰が誰だか、プレイヤーには把握できない。監視カメラがあるのかもしれないし、防災法もあるだろうから、たぶんちゃんとやってると思うんだけど。終わった後だから思うが、DID内にいるときは、そんなことを考えもしなかった。(ちなみにアテンドスタッフさんに聞いてみたが、誰がどの位置にいるのか把握していた)
なぜ思いつかなかったのだろう、と考えてみた。おそらく一定の困難な状態にある場合、人は協力し合って解決するという善意の能力をそもそも持っている。中国も日本も韓国も北朝鮮も、仲が悪いネタをよく言うが、唐突に宇宙人が攻めてきて人間皆殺しにしだしたら、きっと協力体制になるだろう。
DID内では「視覚がない」という共通困難が、この善意を生んでいるのだと考えられる。唐突に手を握られたり、抱きつかれたり、杖でつつかれたら、君はどう感じる? DIDの中ではグループ全員が善意で「大丈夫ですか?」と心配してくれる。そして「自分は●●です」と名乗る。男性も女性も同じ。
これがDIDの外ではどうだっただろうか? 片方だけに障害があったらどうだろう? 相手は障害があり、自分にはない場合、自分はどう行動するだろうか? その逆は? 「見えないのが当たり前」になったとき、人はどうなるだろう? たぶん善意は消えて「何イキナリつかんでんだ、こいつ」となるだろう。盲人はそういう世界にいる。僕らはそういう世界にいる。
逆に言うならば、そういったグループに対して共通の困難を作成することで、組織を円滑に運営できるのではないだろうか? ある企業は、業務提携先と一緒にこのDIDを体感させるといっていた。なるほど、合理的かもしれない。
この形状を実現するための問題点を二つあげる。ひとつは「グループの明確化」、もうひとつは「困難の明確化」である。漠然としたグループ、漠然とした問題では、おそらく混乱化する可能性が高い。(それとも、そうなったとしても、人は善意によって行動できるだろうか? 誰かがリーダーシップを取り、助け合うだろうか? そう有りたいが野生動物を見る限り困難だろう)