生の始まりは化学反応にすぎず、人間存在はただの記憶情報の影にすぎず、魂は存在せず、精神は神経細胞の火花にすぎず、神のいない無慈悲な世界でたった一人で生きねばならぬとしても

人の死に触れることがある。年老いてきたのだから、その機会は増えるだろう。出会ってきたツケを払わなくてはならない。出会えた借りを、返さねばならない。そうやって人の死に触れるたびに思う。
結局のところ、僕は「憤怒」の人間なのだ。生まれたのだから、死ぬ。出会ったのだから、別れる。予測可能、摂理、当然の帰依。問題は過程がどうあったか、どう生きたか、だと、他人にも言うし、自分でもわりと本気でそう思っている。
しかし、死について、怒っている。熱力学第二法則を、憎んでいる。