「怒り」という娯楽性

いろんなものを見ていると、けっこう怒っている人が多い。
不快だ! ふざけるな! 賠償を請求する! なんであんなムカつくヤツにファンがいるの? あんなのプロ失格にすればいいじゃん! あんなヤツがのさばっているからダメなんだ! あんなことをやるなんて信じられない!
いろいろ怒っている人を見て思うんだけど、じゃあさ、見なければいいじゃん。二度とそこへ行かなきゃいいじゃん。二度とそいつに関わらなければいいじゃん。対処すればいいじゃん。ところが、怒っている人たちは何一つとして防衛しようとはしない。
結局、怒りたいだけなのだ。
酒を飲んで酔っぱらうのも同様だし、ホラー映画を見て怖がりたいのも同じ。ジェットコースターを楽しむように、そういう「不快」という娯楽を愉しんでいる。そういうマイナスの感情を愉しんでいるだけだ。もっとも、自覚しているのか知らないが。

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参考文献:これを見て思いついた
「正解はCMのあと」は逆効果 視聴者86%「不愉快」
http://www.asahi.com/culture/update/1106/TKY200711060131.html
…ああ、もしかしてマゾなのか? 不愉快なのに…でも、観ちゃうビクンビクン。