「世界一優れている」と認識するのは誰か?

世界最速の人間がいたとする。たとえば、存在するアテネ五輪・陸上男子100メートルの金メダリストは9秒77の記録を保持している。陸上競技100mで言えば世界最速の人間である。でも、たとえばアフリカの未開の地で、ものすっげー足が速い人がいて、100メートル8秒ぐらいで走っちゃうような人がいたとして、全然誰にも発見されることなく、その才能を発掘されることなく、埋もれてしまうことって、ありえるわけです。
同じような感じで、将棋を教えたら、実はすっげーうまくなって、名人戦50連戦無敗とかの無双になれるような頭脳を持った人間が、将棋なんてものを一度も触れることなく生涯を閉じるとかもありえる。パソコンでプログラム書かせたらビルゲイツなんて目じゃないぐらいの天才的な頭脳を持っている人間が、一度もパソコンに触ることなく猟師とかやって生涯を閉じているのも、ありえる。逆に、現代に生きてのほほんとしている人間が、三国志時代に生まれたら後世に名を残すような軍師になれたかもかもしれない。
そうやって考えて、だ。結局、世界で一番優れているって、そんなの、わかんないじゃん。そいつよりすごいヤツ、いるかもしれないじゃん。試してないヤツが。
…という問いの答え。
「記録をとっている時に一番凄かったヤツが、世界一優れている」の定義だ。