インプットとアウトプット

最近、移動中はiPodに録音したラジオを入れて聞いているし、家にいる時はゲームをしている。まったく暇のない人生だ、それを幸福と定義するならば、幸福かもしれないが。ただ、インプットが多すぎる気がする。
テレビを見なくなって、ずいぶんと経つ。感じることは、インプットの量だ。テレビを見ているとき、どんどんデータがインプットされていく。ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず、と言った具合か。大量の情報が流れ、処理は追いつかず、自分では何も考えることなく、新しい情報に上書きされてしまう。そうやってどんどん情報が上書きされ、最後には自分で考えるメモリが確保できなくなり、マスメディアの言ったことを裏づけもなく鵜呑みにしてしまうようになるのだろう。
インプットが多いことは悪いことではない。それだけの量が飲み込める容量を持っているということだ。しかし、それが処理されず、自分で考えることにメモリを使えないのなら、そのインプットにどれだけの意味があるだろうか。料理を大量に胃に詰め込んでいるようなものだと僕は思う。口にしたその少量の情報から、どれだけ楽しめるだろうか。
もっとコントロールをしたい。己のコントロールをしたいと思っているのに、面白いほうへ堕ちていきやすいのは、生き物としての性質だろうか。おいしい料理ほど食べ過ぎる。面白いことほど遊びすぎる。つまりそれは、コントロールできていないということだ。
あー、でもゼルダやりてぇ〜。ひまちゃきやりてぇ〜。サンホラのマキシ買ったけど全然聴き込んでないし、うたわれるものらじおも聞いてないしさぁ。そういえば、あの本、読んでる途中で投げ出しちゃったけど、続き読みたいなぁ。あー、勉強もしなくちゃならないんだった。でも眠いしなぁ。飲み屋の予約も取らなきゃならないし、だいたい僕は他人にプレゼントとかあげてことないんだよなぁ。それを幸福と定義するならば、幸福かもしれないが。