「進む」とはコントロールの中の一つでしかない

ライフハックだか、モチベーションを高める方法だか、そういった「意識を進める方法」が持て囃されているが、まあつまり「己のコントロールができてないだけ」であり、しかも、「進む」という「アクセルの踏み方」の話であって、「コントロール」のほんの一部の話である。
コントロールは、もっと上のレベルだ。進むも止めるも増やすも減らすも在るも無いも、すべてが自由自在である。
もっとも重要なことは「そういったコントロールができる」と認識することだ。空気を吸って吐くことのように。HBの鉛筆をベキッ! とへし折る事と同じようにッ、できて当然と思うことですじゃ。人間にはその能力がある。
いつか、ライフハックやモチベーションをあげる方法を身につけたとき、モチベーションを下げる方法を模索することになるだろう。好きなものにのめり込み、己が崩壊するようになれば、理解できるかもしれない。酒を飲むのは止められないほどモチベーションが高いのに、なぜほかのものには、そのモチベーションの高さが維持できないんだろうね。オタクはたいていモチベーションを下げるコントロールをして、ゲームやアニメ視聴を切り上げるもんだ。
思うに、人間という器に入っている限り、完璧な自由のコントロールはできないのだろう。運動神経のように、ゲームのように、その不自由を楽しむだけだ。どうせいつか、自由になるんだからな。