大手のニュースサイトを見ていて思ったこと

ニュースサイトってものがある。世の中にある面白い記事をいっぱい集めてあって、自分の感性に合ったニュースサイトを見つけられた者は幸福だ。そういったニュースサイトに取り上げられている、数限りない情報の数々は、ハズレも少ない。とくにオタクなら「ああ、あの○○ね」で通じるような大手サイトが、いくつか存在する。
暇つぶしに、そのニュースサイトの過去記事を延々読んでいたんだけど、だらだら読むにはちょうどいいというか、頭を空っぽにして、ぐだぐだ見ると、テレビみたいに、「そうだそうだ!」とか「へぇ、そうなんだー。知識が増えた(という幻覚)」とか、そんな、薄ぼんやりとした気分に浸れる。面白い記事も多いから、ずっと見ていられるのだ。
だけど、そうやって思考の海に浸って「結局、自分で考えることを、放棄しているんだな」と感じる。自分で考えるほうが大変だ。そのうえ、言語化するのにまた一苦労する。テレビを見なくなった人が増えた、と聞いて「自分で面白いことを考える人が増えたのかな」と思っていたけれど、そんなことは全然なくて、結局webに移行しただけ、多くの人は金魚みたいに口を開けて娯楽を食べているだけだ。世の中には娯楽が溢れているんだから、それでいいじゃん、どうせ趣味の娯楽だし、とも思うけど。
なんか、自分で考えたい。自分から生まれた面白さを保存したい。大手ニュースサイトは面白い。だけど、見ているだけでは、僕から面白さは生まれない。