君の頭を撫でてくれる人はいるか?

歳を取れば取るほどに、身分があがればあがるほどに「許される」ことが難しくなっていく。子供の頃は、多くの人に「許されて」いた。間違ったことをしても、誰かが叱ってくれた。泣いている夜は、親に抱えられ、沈んでいる日は、心配された。何かをすれば、褒められて、何かをすれば持て囃された。
大人になればなるほどに、それが難しくなっていく。社会的地位が高くなればなるほど、強い人間になればなるほど、誰も許してはくれなくなる。誰かから「許されたい」と願う脆弱性が宗教を生んだのだろうか、と想像する。最後に頭を撫でられたのはいつだろう。
君の頭を撫でてくれる人はいるか? 僕は誰かを「許している」だろうか? 会社の上司はどうだろう? 僕の両親はどうだろう? テレビで強がっている嫌われタレントは、誰に許しを請うのだろうか?
嫌いなタレントがいて、ムカつく会社の上司がいて、イヤミばかりの同僚がいて、許せない行為をする人間がいて、でもその人たちも、たぶんどこかの誰かから、許してもらっているのかな、なんてことを考える。