斬新の憂鬱

斬新な発想だとか、アイデアだとか、褒め言葉のように使う。
「斬新さ」というものは、流行のアイドルみたいに、もてはやされている。しかし、本当の「斬新さ」はそんなところにはない。他人に見えるような形状になったときには「斬新さ」は失われている。
「斬新」な発想をしたとき、問題なのは、それを表現し、保存する方法だ。本当の「斬新さ」は他人に理解されない場合が多い。自分も理解できないときがあるし、もう思い出せないものも多い。ただ「今、ものすごいこと、考えていたのに!」という記憶だけがある。保存が難しいのだろう。どうにか形状化し、こうやってテキストにしている時点で、どんどん「陳腐化」していく。
「斬新」のほとんどは、トリッキィな手法が多い。「斬新さ」というものは、本当のところ、もてはやされているように見えるだけで、それを導入しようということは、あまりされない。なぜなら「斬新」の対義語である「陳腐」こそが、常にスタンダードで安定した存在だからだ。
それでも「斬新さ」が見たいと思うのは、きっとそれがとても面白いものだからだ。