萌え次元概論

こんにちは、三次元人のk4です。今回は、生命、宇宙、そして万物についての(究極の疑問の)答えは42と答えた高次元論のガイダンスをもとに、次元間を超える意識についての文章です。われわれは、三次元にいます。そして二次元に萌えます。二次元は裏切らない。ええ、二次元は裏切らないッ! そう信じます。そういう宗教です。はい。ホントに。明日。死にます。
話しを戻します。三次元の存在が、二次元に萌える。その応用を考えてみましょう。四次元の人間は、三次元に萌えるのでしょうか。二次元の人間は、なにに萌えるのでしょう。
そもそも四次元とはどういう状態なのかを考えます。多くの人が「時間が自由なんでしょ?」と物知り顔でいいますが「時間が自由」とはどういうことなのか。想像してください。われわれ三次元人が、ものさしで立体的なものの寸法を測るように、四次元人は時間概念が同じ寸法として測れるようになります。1時間前のあなたと、1時間後のあなたが同時に見え、それをものさしで計ると2時間メートルあります、というような概念が四次元です。
これは時間概念がメートル換算した場合、そうやって見えるのだろう、という予測であって、実際には時間概念以外のものがメートル換算されるかもしれません。それが「次元」の違いです。
そういった「次元の違い」というものを考えると、三次元から四次元を見た場合、概念的にはわかるが、実際そうなったら、どう感じるのだろう?と疑問に思います。それは楽しいのか。便利なのか。萌えるのか。もちろん次元を超えることはできませんので、全部想像です。ここで四次元の存在に萌えるのか、考えておいて、同じように、二次元から三次元を見た場合、高さという概念は、概念上の存在でしかなく、そこに萌えを見ることは難しいと想像されます。
高次元のものが低次元のものを愛でることは可能なのに、逆は無理。神罰は、神が人間に対して行うものであり、逆は無理と同様です。ゴッドサイダーです。話しを戻します。だとしたら、二次元へ行きたい人々が、次に萌えるのは一次元でしかなく、三次元は想像するだけの概念の世界になるでしょう。結局同次元において、同様の嗜好の人間が存在し、引力によって出会うのだから、三次元にいることを嘆く必要はない、という低次元な萌え話でした。
さあ、
あとは、ピング・ウー君に頼んで、一緒に非可逆圧縮の地獄(アーカイヴ)へ行くだけですね。はい。ホントに。明日。死にます。