誰がために鳴る鐘

現状を見ていると「そうとしか思えない現象」というものがある。それは「誰かのために行動することができる人間がいる」ということだ。僕は常に「自分のため」にしか動かないし、動けない。それによって誰かが得をしたり、恩恵を受けたりするかもしれないが、それは僕が僕のために動いた結果、そういった副産物があったというだけで、ただそれだけの価値しかない。
ところが、テロリストは、正義のために平気で自分の命も投げ出す勇者だし、戦争は、相手の虐げられている平民を救う正義のために行われる。不思議ではあるが、そういうことができる人間がいるのだ、という認識は重要だろう。
みんなが正しいことのためや、愛する人のために行動するから、争いなどが起こるわけだが、なぜ正直に「あそこを侵略すると得する」という理由だと動かないのに、正義のためならば動くのか。不思議ではあるが、そういうことができる人間がいるのだ、という認識は重要だろう。