サトリ、サトラレの違和感

なんとなくわからなくはないんだけれど、それってやっぱりマンガチックというか。
人はそんな単一のことを考えないし、単語になる前の混沌のような思考から、口に出す瞬間にやっと単語になる程度の、非常に複雑でごちゃ混ぜで明確さのない思考をしていると、僕は考える。っていうか僕はそうだ。だからサトリが僕の頭の中をのぞいても、映像化するならば、言葉にはなっていないごちゃごちゃしたものが見えるだけだろうし、音声化するならば、同時に何人もが小声でしゃべっているように聞こえるだろう。自分でさえ認識できない思考を、サトリはなぜ単語変換できるのか。
この文章だって、あっちを書いてこっちを書いて、ここを直して、そこを消してと、飛び飛びの文章で。どういうオチがつくのかなんて考えてもいない。次の文章がどういう文章になるのかも、思い付きだ。サトリが見えるとしたら、打たれる直前の数単語先程度。それは頭の中の文章構成能力と、指からのアウトプットの時間差程度だ。