純粋な気持ちはいかにして消失したか。(消失トリック)

会社の人が家族で「世界の中心で愛を叫ぶ」の映画を見たけど、全然感動しなかった。という話をしました。だけど、なぜか家族には大好評。特に中学生の娘息子はすごい感動した!とのこと。うーん、そうなのか。そういうものなのか。それがターゲットだから、といえなくもない。
原作の小説「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んで、「なにこれ、全然感動しないんだけど。」という人は、きっともう心が汚れています。どちらかというと大人です。正直な話、あの小説を読んだけど、「ふーん。」でした。いや、なに、あれ。ありがちな。でも、そう考えるのって、もう純粋じゃないのかもしれない。生きてるってことは、どんどん純粋から離れることかもしれない。ゆっくりと死んでいくように。あの物語が心から感動できるような純粋さは、僕らにはもうなくなってしまった。いつからかわからないけれど、いつの間にか傷ついて透明度の落ちていくガラス食器のように。その物語に感動できるほど透明度の高い純粋な子供で誰もがあったはずじゃあないのか?それともそれこそ幻想で、あんな物語は子供の頃から理解できなかったのだろうか。